水木しげるが子供の頃、勇二という子供が川で溺死した。
耳にかじったような跡があり、人々は河童によるものだと断定し、勇二の遺体をそのまま放置し腐らせ、
勇二を殺した河童の体も腐らせようとした。
そこで勇二の遺体が腐るまで毎晩若者二人で番をする事になった。
番をしていた若者のうち一名は河童に憑かれたらしく精神的におかしくなってしまった。
昭和59年7月10日 不思議旅行 水木しげる
河童に死体がいじくられたら困るからやろ
そら河童が持っていっちゃうからやで
分かる
カッパが食った死体が腐るとそれを食ったカッパも腐ると
筋は通ってるといえばそう言えなくもないような感じ
KRSW
港だったか川だったかは忘れたけど、水の流れが速いところがあってそこに人が落ちたらどうなるかが気になったらしい
で、弟を突き落として実験してみた
>>41
仕方なかった 知的好奇心を満たすため 仕方なかった
それってワニに食われた話しか?川で顔を一緒に洗っていたらいなくなったじゃなかったか?
>>33
ロープと船で川を横切ってたときのはず
水木先生は前にいて、後ろにいた同僚が消えてた
多分ワニだろうと書いてあったな
河童をwikiで調べたらさぁ
肛門3つあるらしいわ
傷口だけでなく刀の方にも薬を塗ったらしいが
これも似たような発想なのかな?
むしろ殴って止めてくれた上官に感謝やな…
>>47
その代わり味方になってくれた上官や軍医も結構いた。
水木御大はビートたけしとも仲が良いが、何か魅力を感じる人物らしい。
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。
面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた。
蛭子さんと、あんま変わんないんだよなあ
引用元:https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1350213977/
コメント一覧
>仕方なかった 知的好奇心を満たすため 仕方なかった
こういうのって、人の死から遠くなった現代っ子特有かと思ったけど昔からあるんだな…
ただ、見張りをやっていて美しい鳥に目を奪われてじっと見てたら、隊が奇襲され水木しげるさん以外は全滅して気にしてなかったのは凄いなと思った。
アメリカ軍の射撃訓練の標的が人型になったのも、WW2初期で実際これがあり、その対策の一つだったと言う説ものあるらしい。
茂みに日本軍を発見した、アメリカ兵があそこに敵がいるぞ、撃て撃てと言ったけど、本人は叫ぶだけ。で、戦闘後になぜ撃たなかったと聞かれたら、そういえば考えもしなかったと、言った兵士の話とか。というか、今のウクライナ信仰のロシア兵士の一部もこんな感じだろうか?
犯人ぽいやつを見張りに割り当てて、
罪悪感で自白させるやつかしら。
だから見張りは二人
水木一家
逃げ遅れた中国人商人の娘を見つけて小屋に監禁して仲間数人で慰安婦代わりに使ってたら
そのうち首吊って死んじゃったって話が載ってたな
言いだすの草生える
実際に敵兵と戦った前線の兵士ほど、敵に対しての憎悪が少ないらしい。
河原で殴り合って仲良くなるみたいなもんか。
後日分かったのが近所のハゲた小ちゃいジジイやった
提督の決断でシミュレートしてわかったこと
ラバウルの防衛は死ぬ思いする
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた。
お茶が鼻に入った
>補聴器を聞こえる方の耳につけていた
草を禁じえないwww
提督の決断でシミュレートしてわかったこと
ポートモレスビーから無限に敵が湧いてくる
中国行って無いから微妙だよな。その話。
弟を突き落とそうとした
川を渡ってるとき同僚がいなくなったあやしい
どっかですれ違ったかもなぁと思う
天才って発達障害かな?ってエピソードが多い気がする
のんのんばあと俺をNHKでやったあと、境港で水木さんの後輩に「水木さんはいじめられっ子っだったんですか」と聞いたら「あんな大男、10年ほどもガキ大将を務めて、隣町までの連合的な大将だったんですよ。喧嘩で勝てる人はいなかったです」と述べていた。判断力統率力生命力もあり下士官だったら船坂弘並みだったはず
鶴瓶中尉「兵士の攻撃性を引き出す原動力は『愛』です」
慰安所の列に並んで順番待ちしてる漫画もあったけど
鶴瓶…
ハゲチビ爺かわいそう
鶴見中尉に叱られる
(;´Д`)ハァハァ
昨日野良見た
なるほど
水木の場合はちょっとどころかだいぶ変わってるけどなw
傷口だけでなく刀の方にも薬を塗ったらしいが
これも似たような発想なのかな?↑昔の西洋医学は病人に対し栄誉あるモノを食わせたり薬を大量に処方する
昔の東洋医学では病人に対し少量の漢方を与え絶食させる、これで体内環境を0に戻す
と大好きな漫画に書いてた。
浪漫を感じるな
河童信仰は確か、九州の佐賀やったかな。
このケンムンが真っ赤な河童の様な姿とされてて好物は魚と人間の目玉
最近大きなガジュマルの樹の下で写真撮ったら写ったわ
赤い獣みたいな奴が..
顔は河童とゆうより天狗に近かったが。
戦時中、同僚だったら間違いなくいじめてるわ
このエピソード大好き
>>49 「苦い朝食」やね
>>12 それはあくまで「聞いた話」らしいね
慰安婦がらみなら「レーモン河畔」て話の方が好き
日本軍が送られた戦地にすんごい美女姉妹が老いた両親と住んでた
二人とも既婚者だけど夫はスパイ容疑で拘留されてるので不在
ただでさえ女に飢えてるから日本軍のみんなは美女姉妹に差し入れとかしてめっちゃやさしくする
色々あって姉妹一家と仲良くなるんだけど食料が少なくなってきたんで
食料の代わりに姉妹に兵隊の相手してくれないかと頼み込む
結局それはあまりに可哀想なのでやめようって事になってみんなで姉妹と一家を安全な場所に移す話
この地にいた軍隊は全滅したってのが悲しい
余裕あり過ぎだろ
実際カッパの正体ってこういうものなんじゃねえかな
昔は風呂なんてめったに入れなかっただろうから
川で水浴びしてる女を見に来たハゲジジイからそういう話が産まれたとか
の価値観すこ。
それで従軍時代を生き抜いたのも素直に凄い。
かなりオススメ
そりゃ浮いて苦労はするけど助ける奴もいたし
頭良いやつにこういうの居るってのもパターン
移民が入って一変したろ
言葉が不自由だとぼーっとしてる子を蹴落として自分を上げるしかない
>なぜ死体を腐らせたら河童が腐るのか
今のひょうきんキャラクター化された河童でなく、古い伝承のおどろおどろしい河童って
西洋の吸血鬼(これも今の謎紳士キャラでなくゾンビ死体に近い)に通じる部分もあるから、
「河童に噛まれた → 傷口から河童の精のようなものが入り、死体が河童化する虞れ」
「そうならないように、死体の中の河童ごと腐って動けない白骨と化すまで見届ける」
みたいな発想だったんでは…?
見張りが二人なのは、日本の普通の葬儀関係の風習に則ったものだろ。訃報を知らせに行く役目も必ず二人一組だし
(近年はその風習も廃れたけど、昭和の夢占いの本では
「二人組が玄関に立つ=近親者の死の暗示」とされるぐらい象徴的だった)、
骨上げの箸も二人一組で拾う。
弔問や通夜の不寝番も、一人で行うのはタブーで二人以上
(「一人だと死者にあの世へ引っぱられる」等の理由づけがされることもある)
という風習も、今でも残っている地方はあると思う。
現実的な問題として、葬儀に関わるくらい親しい人の死では
精神的にセンシティブになっていて、遺体のそばに一人で放置しておくとよろしくない
(長年連れ添った伴侶を亡くした配偶者とか特に)みたいな経験則からの配慮だろう。
最近の〇〇は〜 は
間違いかただの悪口だからな
楳図かずおの展覧会に貼ってあった年表の中に
幼少期に首を落とされたニワトリが
しばらく走ってから動きを止めたのを見て衝撃を受けた云々とあった
荒川弘も同じような経験があったはずだし
生命の根源に触れてしまったが故の好奇心だったのかも
エピソードが多すぎる
戦地で何人も敵兵を倒してる。
敵前逃亡罪で殺されなかったぐらいにはちゃんと兵士をしてたんだよな。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
この三連発でつい笑わされてしまったw
人間の良い所も悪いところも描いてくれるからね
でも俺が上官だったらやっぱり殴ってると思う。
別の意味で泣いてるww
ずば抜けていたからだよなあと思った。
最後はやっぱり身体の強さよな。
アシカが海に浮かびながらこっち見てたりするけど知識なかったらバケモノとしか思えない
水木先生の自伝はどれも面白かったな
親御さんも中々面白い人で、水木荘を買ってその家賃収入で食えるように計らったり、見合い相手の顔が長いのは嫌だなぁと言うのを「顔の長い女はあっちの具合が良いらしいぞ」とだまくらかして結婚させたりなどのエピソードも印象深い
根拠の無い思い込みで行動するのは今も昔も変わりない
お通夜のろうそく当番もふたりだよな、今は巨大な長いローソクだから実質当番要らないけど
これ面白すぎんか?水木先生だけはこれ言うたらアカンやろ
海坊主はもっとデカいから違うな
死んで浮いたクジラが腐敗してガスがたまると
一つ目のバケモノに見えるかrそれじゃねえかな
不健康な奴なら30で食えなくなるもんなのに
やっぱ生命力がズバ抜けている
武器軟膏(傷口ではなく武器側に薬を塗って治療する)の話が出ているので一言
中世ヨーロッパで武器軟膏は実際に治療に役立ち確かに治癒に貢献していた
なぜなら当時の粗悪な薬を雑な消毒で傷口に塗るとほぼ傷口が悪化するだけなので、傷に塗らず武器に塗った方が結果的に治りが速かったのだ
水木氏はそういう人たちにいじめられてたが、そいつらみんな戦死して大笑いしたとさ。
君も余計な恨み持たれないようにしたまえ。
うん、それでその上官たちは死んでいったんだ。
耳が齧られてるからだいぶ怪しいな?
本当に怠け者だったら漫画とか描けるわけがない
戦争中のスパルタが基準なんだろう
のんのんばあはただのお手伝いさんで怖い話を聞いた記憶がないとか
面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。なんでやねん、と検索したら フラワーファクトリ科、環境緑化科、バイオサイエンス科、知的障がい生徒自立支援コースがあります 園芸かよ、芸大は美術なんだからまさしく 畑違い ということか、逆に入れられていたら園芸家になってたのかも。
自分と同じ、それも極限状況であると分かってしまうからだろうな
能動的に何かやったらその河童が攻撃してくるんじゃねえか?
怠け者ってのは楽をする事を追及するって意味だと思うぞ
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